缶詰

2026/08/25

2週間後が学会だがいい結果が出ていない。いい結果出てないのに学会発表するのってよくわからんが、そうやって全部動いているのでしょうがない。

2025/07/18, 2025/02/21と同じく、締切直前恒例の病みポストです。ご笑覧あれ)

そうしておそらくいい結果が出ないまま修士号を取るのである。あんまりにも成果がないので、修論に加えて、発表のときに追加で屈辱的な気分をチップとして支払うことになるだろう。修論に何を書くのか、どういう構成になるのかは全くイメージが湧いていないが、修論発表を終えたら何が起こるかは一つのイメージがある。質疑でタジタジになって(「5年間、俺は大学で何を…」)、嫌な気分のまま研究室に戻り、冷蔵庫に仕込んでおいたビール缶を2つ開けて(俺は臆病だから、きっとロング缶じゃなくてショート缶を2つ買うんだ。まず1つ空けて様子を見て、それで結局もう一つのプルタブも引く…)外に出て親しい三四郎池まで歩いて、そのへんの石にジャケットとスマホを託して池に入り、おそらく腰のあたりまで浸かって缶を傾け、残ったビールを鯉たちと分かち合う。天が見かねて、雨を降らせ始める。こういうイメージが2日に1回ぐらい流れてくる。


人に話すと「でもそれって全然うまくやれてるんじゃないかな、みんなそんなもんだよ、大丈夫だよ」という反応をされる。そういわれればそうなのかも、という気がしてくる。それが人と話す効果なのかもしれない。しかし残念ながらずっとそうやって励ましていただくわけにもいかない。人と励ましあえるのは1年のうち7, 8日ぐらいのもので、あとは「あーあこれでほんとに修了・就労できるのかしら」とうじうじ思い詰めている。そう、客観的に見てもある程度大丈夫なんだろう。しかし客観的にみて大丈夫だと思うべきならば、主観がそこから大きくずれてねちねちとブログを書いているというギャップはどう説明されるのか。客観的に見てヤバくて、主観もヤバいというのであれば、少なくとも自己認識のギャップはない。我々は別のヤバさのクラスについて話していたわけだ。それで、この辺のギャップをつまびらかにするのは俺自身の役目だということになる。


卒論のときにも書いたが相談というのがいまだに下手くそすぎる。LLMもこの問題を悪化させている要因の一つではある。俺の側に相談への抵抗と動機があって、動機を十分に理解できていない。その結果いつもの悪循環をたどる。できると思えない、とりわけ自分にできると思ってない、するとますますできない、うじうじうじうじ宇治抹茶。

相談すると何がいいのか?問題が解決に向かうかもしれない。解決策が見つかるか、問題が縮小されるかもしれない。状況を共有できる。では相談を妨げるのは何か?プライド。そもそも何を言ったらいいかわからない。何がわかってないかもわかってない、堂々巡り。相談の価値を低く見積もる傾向。最終的に卒業できちゃうんじゃねと思っている点も大きい。相談するというハードル乗り越えなくてもなんとかなるっしょみたいな。でも、たかだか相談だぜ?それができなくて俺はダメ人間だなあと思うのはまあいいのだが、この声があまりにも大きくなると身体とか生活に差し障る。頭が痛い、回らない。飯を食わない。

知能が足りないというより、方向性を相談するとか、計画を立てて徐々に進めるとか、モチベーションを維持するとか、自分に何かができると思い込ませて奮い立たせるとか、そういうところのスキルが足りてない。就職したらもっとこういうことしなくちゃいけないのかね。研究室で練習しておけって話なのだが、なんかできないんだなあ…。教員と相性が悪いとかでもないと思うのだが。もっと論理的にいえば学年が上がるにつれ頼れる先輩が少なくなってきた。でもそんなこと言っててもはじまらんよなあ。うーん。

そうやって何もできないまま場数をこなすことができず、自信も生まれないのでますます何もできなくなり、同様の構造が研究だけではなく仕事、生活、人間関係みたいなとこでも臨海新都心のタワマンのように俺の周りに立ち並んでいき、井の中の蛙として10代を過ごした俺は20代で今度は自分の周りにタワマンを生やし太陽の光を遠くに限定することによって、自分の立ち位置を井戸の底へと作り変えるのである。


作り話:

部屋の壁に貼っておいた退学届のピンを取り外し、今日の日付を書き入れてからクリアファイルに入れる。キャンパスに着いたぼくは先生のいるB棟7階に向かった。

「とりあえず休学のほうがいいんじゃない?」
「ぼくの知り合いのうち休学したのは7人ですが、それから大学に戻ったのはひとりも知りません。いますぐ蹴りをつけてしまったほうがいいと思うんです」

かくしてサインをいただき完璧な退学届を手にいれたぼくは、3階の居室に戻り、コピー機で3枚に増やした。誰もいなかった。コピー機の天板を叩いて別れを告げると、短いビープ音が2回鳴った。複写の2枚はカバンに入れた。1枚は実家に送って(きっとびっくりするぜ)、1枚は部屋に飾り直すといいだろう。

学科の事務室は2フロア上の5階にあった。階段を登るたびに心臓が高鳴り、小さいころ通った公園の滑り台に上るときのような感覚があった。退学届は来週の専攻会議で処理されるという。

「学生証も返却いただきたいんですが、いまお持ちですか?」
「すいません、この紙だけでして…また来なくちゃダメですか?」
「いやいや、ご自宅で処分いただければいいですよ」

礼を述べて事務室を出る。まだ学生料金を手放すわけにはいかなかった。

正門を出て振り返ると講堂が見えた。ぼくは右手の中指を突き出して、講堂の突き出た塔の部分と重ね合わせる。何はともあれ終わったんだ!じゃあなクソ大学!やっぱりちゃんと声に出して挨拶しよう。

「じゃあなクソ大学!ありがとう!」

そのまま正門が視界のなかで縮小していくのを眺めながら後ろ向きに歩いていると左半身が何かにぶつかり中指が分針のように右に周り短針にあたる講堂がまた見え腕が地面に落ちる。石とか油とか鉄のにおいがする。どこかがねじれて関節とともにぼくも悲鳴を上げる。ぼくは思ったより早く自由になるようだった。


突発的な侵入思考を捉えてみたい。夢日記の応用。昨日は研究室で画面を見つめてただ手をこねこねしていたら気持ちが暗い方向に行って、車に轢かれるってどんな感じだろうとか考え込んでしまったのでそれをもとに書いた。先週観たスパイダーマンの映画の、モブが車に轢かれるシーンが繰り返し浮かんでくる。エーアイに読ませてみると「ふむふむこれはタナトスですな。事故によって主人公は、退学が正しかったかどうかを永久に知らずに済む」と言っていた。ナイスポイント。そのあとエーアイとは6時間喋った。頭が痛い。


たまには喋るようなつもりで:

「こんにちは。問題が解決してほしい?です。人生を終わらせるっていうのは絶対的な解決なわけですけど、それ言っちゃえばもうこの部屋はいらないわけじゃないですか。生を維持する機関ですよねここは。なんていうのかな、問題が解決するってのはこう、まあ、満足のいく修論が書ける・・・いやそんなことはないですね。満足のいく修論なんかどこにもない。修論はヒーヒー言いながら書くんでしょうね。締め切り前かな。ギリギリになっても、なんだか相談が下手くそで、質もよくならないのを問題だと思っています。もちろん前日になればさすがに相談できますけど、それまで何かがあるいはプライドが邪魔している。それがB4の8月の最初の学会から、2月の卒論、4月の学会、8月のポスター、翌年2月の留学のレポート、M2の8月の学会まで続いているわけですね。間でスイスにも行ったしテーマも変わっている。変わっていないのは研究室と俺の性格、なわけです。進捗が出てなくても相談できない、出てないってことを相談できない。行き詰まって堂々巡りになってたまままた9月頭には学会です。あるいは解決とは俺が大学院をやめることかもしれません。正しいものを正しい位置に。整理整頓。ちなみにぼくは整理整頓もへたくそです。ちらかってます。しかし人が家にくるというフィクションが満たされないのでなんとかなってます。どっちかといえば就活したくないので、内定をもったいまのまま卒業したいです。あるいは俺がそういう企業や修士号に値しないということかもしれない。あるいは会社員になっても上司や先生に相談するということは絶対にありますよね。ぼくはそれも考えた上で臆病さがなくなってほしいと思っているのかもしれません。ただ繰り返すように、そもそも修士号や会社を諦めるのであればその問題を解決する必要はありませんね。たぶんいまのままでも卒業はできるんだけど、計画性とかそういうのどうにもならないまま社会に出ちゃうんのもなんだかなあと思います。よくばり?かもしれませんね。ぼくが受診したらいいというのがどういうことかわかりません。大学の予算からいって、もし適当な治療をしてそれでぼくの計画性が上がって日頃から先生とコミュニケートして締め切りにも間に合い研究の質が上がるならばそれは大学や社会にとっていい気がします。でも大学にはもっと死にそうな人間とか、大変そうな人もたくさんいて、ぼくが行列のどこにいるのかはわかりません。あるいはそういう相談への抵抗みたいなところは一般社会にもあるので、まあ、がんばりたまえとしかいいようがないかもしれない。相談できなくて締切に間に合わなくて仕事クビになってご飯を食べられなくなってひもじくなるのが一番の治療かもしれない。痛い目みないとわからないってやつかな。でも痛い目みないで直せるならそれに越したことはないよなあ、と思います。臆病なので。

 研究室は毎週ミーティングがあります。8月はなかったですが。なんか進捗がうまくいってるように自動的に言っちゃう癖があります。というかうまくいってると本気で思ってるのかもしれない。で締め切り前に粗が見つかるみたいな。ちょっと技術的すぎる話かもしれませんね。卒論提出の2日前にも「きみがやってること意味ないよ」みたいな事言われてえーっ、ってなりました。そもそも調べて動かして仮説検証みたいなのが疲れます。それはみんな疲れますね。

 身体的な症状はないです。0時就寝8時起床。調子悪い日は2時寝10時半とかになります。徹夜は締め切り前に1回どこかで挟まる感じです。締め切り前はだいたい映画と読書に逃げます。あとはクソーこんな大学院辞めてやると思っています。食欲もふつうにあります。学部のときは履修を間違えましたが、お情けで再レポートを課していただいて卒業できました。締め切りが迫る、病んだブログを書く、相談室の予約を検討する(んでたまに行く)、AIに相談する、なんとかのりきる、忘れる。このへんはかなりパターン化されている感じがします。」