ソットサス展
アーティゾン美術館のソットサス展+溝口修造展に行った。まずソットサス展。タイプライター(olivetti lettera DL)がかっこよかった。タイプライターって基本全部かっこいいから困る。「この家具の機能は存在である」みたいな文が書いてあって、これはバウハウスとか「用の美」に抵抗するのがメンフィスである、という理解でいいんでしょうか?ポスターにあるトーテムなどはあんまりピンとこなかった。むしろ写真シリーズ『メタファー』をよく観ていた。野原に棒突き刺して土にシート敷いて、「はいこれは〇〇の部屋です」というキャプションをつけて提示する。大喜利っぽい。
次に溝口修造展。この人は詩人で評論をよく書いていたのが途中から絵を描きはじめたらしい。彼が評論した画家の絵があって、彼のコメントがついているが、いまいちなんか芯を食っている感じがしない。彼が肯定した作家の絵しか置いてないからだろうか。彼自身の絵も、なんとなく、練習だという感じがする。写真を使ってまわりに言葉を置いたやつはおもしろかった。やはり言葉の人なのか。彼が評価した画家のなかにクレーがいた。『家の投影』とか観た。クレーは線が主体になる後期より色と針金みたいな線が交差する前中期のほうが好きだ。カイユボットの『ピアノを弾く若い男』があった。床をかんなで削っている絵とか、ボートを漕いでいるイケメンと向かい合う視点の絵とかが有名かもしれない。切り取る場面が近代的で、きれいというよりおもしろい。たとえばピアノを弾いている人を描くにしてもふわふわのドレスを着飾ったお嬢さんではなくて、グレーのスーツ来た兄ちゃんなんだなあ。なんでかは知らない。
白黒の絵がある。はじめ、戦争で死んだ兵士だと直感した。もしかしたら庭園美術館で見たポスター(Westfront 1918?)を思い出したのかもしれない。しかし戦争を思わせる証拠がまったくない。椅子に座って眺めていると、白い土に作物が生えているようにも見えるし、ただうねうねしている。上と下の境目の理由もわからない。白い絵の具も使っていたのかもしれない。妄想できると嬉しい。でもそれは作家ミショーの望みではないだろう。あるいは言語/文字として見るべきかもしれない。題はなかった。
次の展示会のチラシに佐伯祐三の絵があった。広告の文字に執着している絵。むかしポスターを貼りまくった壁(実際ヨーロッパにはそういう壁がたくさんある。いまでも主流の宣伝手法と言える)を描いて、それも文字を文字として筆で描いていたのを覚えていた。調べると『ガス灯と広告』だった。
2時間強居たかな。やっぱり最初の1時間ぐらいはぼーっとしていて、なんか集中力ねえなあと自分でも思うのだが、今日のミショーみたいな気になる作品を見つけると、他の作品に対しても興味のあるなしがくっきりして、楽しくなってくる。それこそV&Aとか行くと、圧倒的な物量を前に「これを全部見て回ろうとするのはおかしい」というのがわかるのだけれど、日本の展示はよく整理されているので、がんばれば全部見れないこともなく、がんばってしまう。
アーティゾンは学生無料なので、いまのうちになるべく行っておきたい。はじめて行ったのが確か抽象画展(ABSTRACTION)で、その画集が資料室にあったのでパラパラめくるとけっこう観たのを覚えていてビビる。ポストカードも買った。シスレーとエステーヴのやつ。