缶詰

話すことの困難

気を抜くとすぐ息ができなくなってしまう。なんでも話せる友達なんてものはなくて、ただ自分の一部分について話せる友達をなるべく多く持っておくと、それなりに話せるような気はする。相手によって自分から出せるカードは違う。話せていないという自覚があるのなら、それを乗り越えて話をする勇気を持てばいいだけだが、すでに臆病さが無意識に埋め込まれてしまったのか、話せない話題は最初からその人の前では頭の中にさえ浮かんでこないことも多い。だから書いてガス抜きする。でも、書くのは、とても、遅い。


M1の先輩も会えばいい人だなあって思うけれど、3日(たとえば、土日月)顔を見ないとSlackでメッセージを送るのにもすごく勇気がいる。遠慮しているとかではなくて、勝手に自分のことをよく思ってないんじゃないだろうかというイメージが、最後に話した時刻からの経過時間に沿って作られていって、遠隔でコミュニケーションを取る気持ちを妨害してくる。

1対1が怖いのかもしれない。うちの研究室Slackは #random が閉鎖(アーカイブ)されている。さすがにキモすぎん?と思って勝手にもう一度開けた。俺しかいないので、研究室で育てている金魚の話を壁打ちしている。エサ食べないね今日…


6月の頭ぐらいから工学部の学生相談室で話をしている。2週間おきに30分程度。3回4回目にもなると「まあ特に話すことないかも?」と思ってしまうが、入ってみるとまぁ〜べらべらべらべら喋っている。知らない人と話すと、自分も少し自分であることから離れられる。最近は特に知り合いに対してガードを固めすぎなところがある。自分の言ったのと同じ意味を異なる音色で反復されるだけ、それぐらいがちょうどよい場合もある。おそらく臨床心理士ではなく、一般の職員なのかなあという気はするが、本郷キャンパス全体を管轄する相談室と違って予約もいらないのでおすすめ。


飲み会があった。あんまり何喋ったらいいかわからん。かなり高専の環境の特異性に助けられている。俺の話はないので高専の話ばかりしている。5年間の出来事を一生擦れるなら、コスパはいいのかもしれない。同じ話を徐々に洗練された形に近づけるたび、安堵して、少し虚しくなる。BGMに負けないようにしゃべるのがつらい。よく聞こえないし、味もなんだかわからなくなる。アヒージョは好きな味だったんだけどなあ。