缶詰

2026/07/26: デッドライン

酒に酔っている。あるいは酒を通して自分に酔っている。だからブログを書く。たった6%の缶だが酔っている。耳の血管を流れる血の音を耳それ自体が拾う。首をぐるぐるさせながら書いている。目の前のスクリーンが動いていて、座っているのに歩いているように視界の動く。俺は右目の視力が1.0で、左目が0.2なので、美術館で絵を観るときは両目を使い分けている。つまり、精緻に見たいときは右目で見て、全体のざっくりした配色や明度を見たいときは左目を使う。首をぐるぐるさせると細部が見えなくなっていい感じである。Forza Horizonでもハンドルを切りながら上半身を適当な方向に動かすとおもしろいし、若干運転がうまくなる気がする。目の前にある細かい現実というよりも、もっと時間的・空間的にざっくりした、つまり現実を時間や空間で平均化あるいは微分したそれを見たい。勢いがいる。脳内のシナプスが火花を出して、水流の強すぎるホースのようにぐねぐねと動き、あちこちに電気信号を飛ばさなくてはいけない。

千葉雅也『デッドライン』を読んでいる。まだ読み終わってないけど書く。そもそもの読書体験が俺の場合は断続的で、つまり本の内容をすべて覚えているということがありえない。最後に読んだ部分から100ページぐらいの内容がぼんやり残っているだけで、それより前は概ね忘れている。したがって、読み終わってからの反応と、読んでいる途中の反応も、そもそも本全体を振り返ることができない以上、あんまり重要性は変わらない。『オーバーヒート』も一年前に読んだ。橋から薬の瓶を投げ捨てたとこだけ覚えている。両者ともゲイが主人公の小説である。当たり前だがBLとは違う。読みやすい。Twitterの書き起こしのような文体もあるが、ドラマが弱くて助かる。傍観している。(文中でもたぶん述べられていたように)距離がある。いい生活してるなあと思うが大学生が一般にそうなのか、時代の差なのかわからない。人文系の研究室ってほんとにこんななのかね。教員との距離が近い。はあ、研究研究研究。クソである。本の人物らのように議論もできない。議論するということを学ばなかった。俺の修論もどこに行くのかわからない。どこにも行けそうにない。どこでもいいから行きたい。勇気があるやつは休学する。知性があるやつは博士に行く。どっちもないやつだけが残る。構造的問題。

同じ著者の『現代哲学入門』『センスの哲学』も読んだ。再読しなきゃな。帯に東大生協でチョー人気、と書いてあった。こういう帯見ると逆張りしたくなるが、読むとちょうどおもろいゾーンにあるんだなあ。怠惰な理系にとってのハビタブルゾーン。しかし彼の書くゲイ小説にはそういう帯がない。この事実は東大のホモフォビアを浮き彫りにしているのではないか?

ハッテン場の描写はビビる。このキメセクの描写はほんとなのかね。その割にフェラでHIVが伝染るみたいなのを気にしている。自意識過剰、男への視線がぐるっと回って自分へと戻る、みたいなのがおもろいがまだわかってない。受けの目線で書いてある。異性愛への傍観、映画撮影への傍観、魚への傍観。性生活と大学生活が串刺しになっている。焼き鳥のネギ。どちらがネギか?