缶詰

5月の日記ダイジェスト

日記の抜粋。5月末に修論の中間発表があって、そこに向かってだらだらやっていった。いろいろな投稿のスタイルを試してみます。いまアクティブなSNSアカウントが3つぐらいあるんですけど、どこに書いたらいいかわかんなくなってきてどこにも書かなくなってきた。うーーーん。

5/8

『蒸発』を観に行った。家庭とかお金の事情で夜逃げして、そのままアイデンティティを変えて行きていく人々のドキュメンタリー。顔をAI生成のそれに置き換えていて、それが大きな効果を持っている。映画の中からすらも蒸発しているのだ、ということだろうか?でも映像としては不自然、不自然に見せるのが倫理的なのかもしれない。しかしほんとに特定不可能なんですかね?「家ついてっていいですか」と同様の懸念がある。ある程度安全になった人が出てる印象。

1年ぶりぐらいに渋谷に行った。こんな街だったかしら…。

5/9

天気が良い。掃除したあとニュートラルな気分になる。無。何をしてもいいし、別に何もやりたくもない。腹も減ってないし現実感がない。窓際でぼーっと陽を浴びていた。穏やかでいい気分だ…4月下旬ぐらいからこういう気分になることがたびたびあって、いちいち感動している。B4とかM1のときにこんな気持ちになったことあっただろうか?忘れているだけだろうか?

さらに片付けする。現実逃避的。おそらく何したらいいかわかってない。迷いがある。

5/10

横浜で中華街とか山下公園とか歩く。Mixueでタピった。バラとか船とか見る。ローザンヌ行ってから青い水辺が好きになった。もうだいぶ満足したけどなんとここからさらに友達に会ってきた。のりきれ修士。

5/11

事前に知らせたという事実が大事。

5/12

就活の終活について考える…いや、迷っているだけだろう。

友達とハンバーガー食べる。楽しい。

5/13

研究が行き詰まっとるよ〜。

5/14

乗る必要のないバスに乗る。ゆったりしていて気持ちいい。

研究自体はうまくいっていないが、研究のテーマのメタファーで世界を見るのは割とおもしろい。そういうことがしやすいテーマである。いろいろなスケール(時間や空間の範囲)で材料のシミュレーションをする、みたいなことをやっている。材料を構成する原子一つ一つの挙動から影響する性質もあれば、原子が大量に結合した結晶やポリマーとしての挙動から予測できる性質もある。スケールを小さくすると、その小さな範囲においては高い解像度で挙動がわかるけれども、大きなスケールでの現象についてはわからない。

我々の住んでいる街も、移動の速さとか範囲によっていくつかのスケールに分けられる。徒歩スケール、チャリスケール、バススケール、電車スケール、飛行機スケール…といったように。同じ場所を移動していても、スケールが違えば街の様子も違って見える。いつもは歩いている道でも、バスで通ると、新しい店があることに気づいたり、人が集まる場所がなんとなくわかったりする。左右の足を出し続けるのとは違うバス停のリズム。

材料を構成する分子のデータベースがいろいろあるけれども、それらに含まれる分子の多様性について考えてもいた。最近だとそういうデータベースを機械学習モデルに食わせるので、そういう学習データの多様性を考慮するとモデルの性能も上がって嬉しい。だがこの多様性というのも一筋縄ではいかず、いまだにちょこちょこ多様性評価手法の論文が出ている。ただそういった多様性は分子だけではなく、画像とか文章についても、2つのものの間の距離を定義できれば考慮できる。人生のベイズ最適化, みたいなことを割と真面目にイメージしている。

うまくいったかどうかの判断をコードにするのが大事だよなーとか思う。俺は忘れてもコードは覚える。

5/15

迷いながら資料づくりを進める。

5/16

ピクニックした。朝に弁当つくる。卵焼き、唐揚げ、おにぎりとかベタなのを作った。大変だった!普段から作ってる人はえらい。浅漬けとビールも入れて出発する。3人のピクニックに用意されたおにぎりは…5つ。俺がサイコパスなのではなく、1個目がデカすぎて米が足りなくなっただけ。

立川駅に着くまでに、カズレーザーが信号の配色の意味を発見するのを四回見届ける。くたばれtrain tv。腕を上げて吊り革掴んで画面睨んでるとか、二分間憎悪すぎる。広告主がいないならそのへんの動物の写真でも貼っておけばいいのである。JR西はそうしている。昭和記念公園は人が多かった。ビール飲んだり弁当食べたりシャボン玉吹いたりした。生ハムとピザにアリがすごいたかってた。パキっとしたいい天気だった。


学祭(五月祭)は飽きたので行ってない。爆破予告で中止になってしまったので、行かなくてよかったといえばよかった。でも気になってSNSで調べてたらragebaitの餌食になってしまった。ネットde政治の話するのはいいんですが、それで効果があるのはすでに思想信条が似ている仲間との連帯であって、その思想信条をよりよくすることではない気がする。データを調べたり社会がどうあるべきかを考えるのってめんどくせえよな。議論のやり方とかわかんねえな〜。

エネルギー関連だと、参政党はそのマニフェストに「本には小規模なものも含め1,500ヶ所にのぼるダムがあるが、水力発電には約700ヶ所しか活用されていない。日本のダムは半永久的に使える耐久性があり、既存ダムを最大限活用することで水力発電の構成比を20%程度まで引き上げられる可能性を持っている。」ということを書いている。現状は水力は全発電量の8%ぐらいだけども、その残る700箇所はほぼ小規模ダムで経済性がないし、それらを活用するということは追加で開発をするわけで、それなら地方のリソースを都市の電力需要のために流用するという収奪の構造は、メガソーラーや原子力と何ら変わるものではないのではないか…とか考えてた。白書とか読むべきだなー。

5/17

中村くん第6話よかった。きゅーんとした。

5/19

仕事を遅延させている。

5/20

6:30目を覚ます。キジバトが鳴いている。起きたくないのはたぶん憂鬱さがあるからである。起きなさい!起きないとM1に落ちるわよ!コーヒーがないのでぼーっとする。まいばすに開凸してコーヒーを買った。

資料作りに時間かけるようになったら終わりやで〜とは言われたが、資料を書くまで俺も何をやっているかわからん。それがそもそもよくないんだろうが。計算系でも実験ノート的なものを作ったほうがいいんだろうなーという結論。いまさらですけど。モノがある実験に比べてノートに情報を集約する意味を把握しづらい。

5/21

しとしと無能感が出てくる。M2になったのにやっぱり書類出せないし原稿もしょぼい。学部のときから何も変わっておらず、かなしい。人々がアパートのドアを開けて出ていく音を聞くだけで、まだうちでごろごろしてんのかと責められているような気持ちになる。歩いていると一旦明るくなってからずーんとしてくる。

研究をClaude Codeに積極的に頼って2週間ほどやってみたが、出てきた図がややおかしかったようでいろいろ突っ込まれたが説明できなかった。AI slopを作ってしまった。しかしこうやって親切に指摘していただけるなら、AI slopを出した側としてはむしろ楽になってしまうな…。後輩が簡単なsshのコマンドさえClaude Codeに聞いててちょっと引いたが、そういう抽象度にいる状態を維持したほうが効率がいいのかもしれない。

午後はなんか盛大にデータを取り間違える。だるくなってきて三四郎池で行ってそぐわない音楽を聴く。雨だと人がいなくてそれは良い。

夜はたこパした。楽しかった。「研究のおもしろさは諦めつつあるが研究室生活をおもろくすることによって生き残りたいXX研有志の会」が発足しつつある。たぶん俺も発起人だな。やっぱこの大学はなんやかんやストイックな人も多くて、疲れます。噂話を聞いて不安になる。メンタルが弱っている証拠。

みんなお酒強い。というか俺が弱さのわりに飲み過ぎ。どれぐらい飲めるかというのは大まかに(生理的な許容量)+(社会的な許容量)として書ける。俺はすぐ顔が赤くなるし頭が痛くなる、つまり生理的許容量が小さいのだが、情けない話をしようが現在の俺が楽しくなることと、普段話さないことを話すことを優先しているので、社会的許容量は大きい。そっちを頼って飲んでいる。社会に出ると無礼を働くことへのペナルティがつくので、社会的許容量が減って、控えめになっていく…かもしれない。

数年ごとに訪れる「新しい環境」という神話!

5/22

遅く起きた。考えごと…というか鬱々とする。やや頭も痛い。リズムくずしてんのと酒飲んでんのと研究がアレなのと雨降ってんのがよくない。しょうがない。

区がやってるB〜ぐるとかいうバス乗ってみた。100円のちっちゃいバス。「エックス毎日更新!〇〇八百屋」みたいな広告アナウンスがある。本当にある。

5/23

逃避の一環として掃除したりサーバー整備したりする。図書館でだらだら研究する(15時〜22時とかいう大学院生リズム…)。回り道して千駄木の謎をずいぶん楽しんだが、時計を見ると+10分ぐらい。お得感。夜の根津神社もよい。行燈ついててスリルある(無礼な…)。謎の階段とかいいよな〜。新しい家と古臭い家が混み合っている。戸建てが多くてあんまり面白い家はないかも。せせこましい。本駒込の集合住宅のほうがおもしろい。真夜中は不忍通りみたいな太い道とかも横断しやすくて探検が捗る。

横断歩道を信号無視する/しないときには、しょっちゅうジェームズ・C・スコット『実践 日々のアナキズム』のまえがきを思い出している。筆者が信号を無視して渡ろうとするが、彼の友達が止める。小さい子供が見ているときだけは、間違った学び方をしないように、信号を守ることにしているのだった…みたいな話。子供がいなければ勝手に渡る。そういう原則を持っているのはいいなと思う。一人なら適当に渡っちゃうような無意味な信号でも、人がいると人の目を気にして「合わせとくか…」みたいな感じで渡らなかったりする自分にもやもやしている。人が見てるから無意味な信号の前で立ち尽くすのは倫理的な態度なのか?エスカレーターで左右どちらかの列にだけ乗るのも同様のことが言える。2列で立って乗ったほうが全体の輸送効率はよい。もちろん1列開けておけば急いでいる人にとっての最大移動速度は上がるわけだが、それなら隣の階段を使えばいいんである。そういうことを思っているんだけれども、結局歩く側の列(東京なら右)に入ってしまうと、ついつい人のことを気にして歩いてしまう…。

5/24

5:30目を覚ます。びっくり。スイスに行って直った生活習慣が日本でも残るならわかるんだけど、スイスで10時に目覚ましてたくせに帰国してから朝型になるのわけわかんねえな。

帰ってからしおり作ったりする。現実逃避!!!

5/25

原稿書く。進んではいる。遅すぎて目に見えないだけだ!

5/26

ぐあーいやだーーーー。なぜ楽しい予定もストレス予定も連続してしまうのか。

5/27

散歩した。東田端とか行く。子どもらが公園でありえないぐらいパンパンになったシール帳を眺めている。俺もそういう遊びがしたかった。校庭の端から端まで走ったからなんやねん、ってガキの頃から思ってました。シールは貼ってなんぼだと思っているので、ここ数年は手にしたそばから貼っている。世界から自由度が一つ消える。嬉しい。

草稿を送る。メール返ってくる。やりたくないよ〜〜成果ないよ〜〜〜〜。30分ぐらい音楽聞きながらひたすら部屋の中をぐるぐるぐるぐるする。…原稿をする。

5/28

はーなんかどうせ中間発表だしなみたいな気持ちになってきている。どうせ、どうせ、どうせ。

5/29

1時間半ほど寝て6時。ひたすらスライド作る。ちょっと作ってちょっとぼーっとしてを繰り返す。消耗戦。発表20分前にスライドができる。なんとまあ…

粛々と中間発表をする。分数*0.8枚ぐらいがなんやかんやでちょうどいいな。下手くそなので。質問されるとこ毎回同じだけど返しがなんかいまいちわからん。オンラインだとダメージが少ない。話終わったら他人の発表も聞かずに昼飯作る。

5/30

どっかの研究室の関係で、ぬいぐるみとしゃべったり触ったり劇をしたりする。やさしい気持ちになった。演ずるみたいなのもまあまあおもろいかもしれない。というか劇って言われるとアニメみたいな発声になって恥ずかしい。