缶詰

2024/08/30

学術的な領域としてはこの学科以上に自分に合う場所ってたぶんそこまでないんだけど、それでもおもしろくないのは、やっぱり知り合いが少ないとかそういう非機能要件の要因も大きい。高専は寮とかクラスに友達がいたから楽しかったんだなーってのをつくづく思い返す。マズローの段階説の言葉遣いをすれば、社会的な、関係・所属への欲求が満たされていたので、その上位の承認・実現欲求へとコマを進めることができた。…と書くとなんだか嘘っぽい。やっぱりわからん。いずれにせよ、友達をつくるのはめんどくさい。もう、クソめんどくさい。機会と魅力と意欲がないんだから、しょうがないよな。

友達じゃなくちゃいけないってことはないんだと思う。高専のときも先輩後輩とのメンター的関係だったり、相談室でも相談員-クライアント関係というロールがあれば、わりと話やすいかもしれない。むしろ希薄な接触をいかにしてロールに落とし込むのか、という話かもしれない。知らん。

東京にいると、難しく考えすぎてしまう。人口1400万人、密度にして6000人/km2にいるときの孤独がちょっと重いのかもしれない。孤独死が多いのも頷ける。目の前にいる人間が所属している場所を考えてしまうことがある。だから、目の前の現実で関係が閉じている親密なカップルがたくさんいるところよりも、(所属への想像が開かれた)個々の人間が大量にいる電車のような空間のほうが、頭の中でふくれていく賑やかさが大きくて、むなしくなるのかも。人が多すぎて孤独な感じがして、趣味で埋めるためにまた人の多いところに出て、というのは妙だ。


院試が終わった。いつもどおり微妙な成績。まあ落ちたら落ちたで、その辺のベンチャーにでも拾ってもらうか、でもベンチャーって忙しいな~みたいな、雑な話を、相談室でしていた。事業内容はどうでもいいので、雰囲気の良いところで、適度に暇な仕事がいいですねと言った。かといってほんとに関係ないことだったらそれはそれでだるいんだろうな。まあ、無能でも「無能なんですね」って言われないところがいい。最近タイムラインに他人の文句が多くて、見ていてつらい。自分は他人と協力してまでこなす仕事がないので、不満を抱けるはずもなく、ここ3年は会う人会う人「えらいな~」という印象を一律で持っている。えらいかカスか、みたいな評価軸もあんまよくないとは思っている。生きてるだけでえらいわけねーだろバーカと言いつつ、個々人のかけがえのなさを大事にしないとな!と思いこみたい気持ちもある。でもやっぱりLLMと話していて感じる、俺はn年後のAGI様にAI判定されて人権を剥奪される側なんだろうな。アガンベンさん助けて~

内心どうでもいいと思っていることを、ちゃんと適当にやる。やりたくないことを「やりたいです」とか言わない。院試はそういう心掛けの練習だったわけだ。筆記は適当にやれたのかなと思うが、面接はちょっと嘘っぽいこと、言ってしまったかもしれない。それとは別に、心の状態として、試験5日ほど前からすごくナイーブになってしまっていた。そこで焦りが出れば「ちゃんと」やってしまうのだけれど、ナイーブさがズボラな性分と嚙み合って、結果的に物理的なエネルギーはそこにはあまり注がずに済んだ。憂鬱の雲が出ている間、傘を差し続ける肩から腕にかけてのだるさみたいなものがあった。


振り返らずに振り返る、考えずに考える。説明しようとしない、ツッコミを抑える。生きてる手触り、シャツの裾の厚みを確かめるような書き方がしたかった。うん、自分は「よれよれのTシャツ」という言い回しを知るまで、よれよれのTシャツを知らなかったし、そのTシャツがよれよれだとは思ったことがなかった。


bearblog.dev のフィードはおもしろいんだけど、なんかこう背伸びしているというか、インターネットを巻き込んだ自己啓発というか、「私はそのままでいいんだ」という声に力が入っていて、淡々としていない感じが惜しい。