缶詰

学祭2024

学祭(五月祭)では昨年同様、工学部13号館で高電圧実験を担当した。今年はそこの展示責任者をやった。ちょっとマネジメントみたいなことをしなくちゃいけなくて、どうにも大変だった。シフトのやりくりを論理的に考えるのはパズルみたいで苦手だし、人にお願いしてシフトに入ってもらったり、ちょっと居残りしてもらったりするのも気を遣ってすごく疲れる。この二重苦を軽減する方法はあって、それが自分が無限に13号館で仕事をすることだった。自分には気を遣わなくていいし、暇なので無限にシフトを入れられる。結局9時から18時まで持ち場にとどまった。あー、でもアベンチュリンのコスは見たかったなー!(経費全部出して♡)コミアカ行きたかったなー!(前回買った東京大学東京大学同好会の本がおもしろかった)


2日目は昼に休憩を設けた。もう外にも出たくなくて、他の人にお昼ご飯をついでに買いに行ってもらった。休憩中にも人がやってくるので案内する必要があった。外がクソ暑いので待てる人には中で待ってもらった。なかなか買い出し組が帰って来ないので、待っていた女性と話をした。なんだかたくさん建屋や装置の写真を撮っている。もともと土木とか機械の道に進みたかったが、親族に反対されて、建築学科に進んだらしい。工学部や高専出身者ならわかると思うが、建築はだいぶ毛色が違う。それで結局もやもやを抱えたまま卒業して、でもそういうメカメカしたものが好きだった。

装置をむやみに触ると(といっても相当むやみに触らないとだが)最悪人が死ぬのと、本来見学者が入る場所ではないので躊躇しつつも、まあ大人だし、接地してるし、俺はここでもう15時間作業してるし、ガードレールはあるし、大丈夫だろと思って、設備がよく見える場所に案内した。そうしたらすごく喜ばれて、さらにたくさん写真を撮っていった。こういう老婆心が人を殺すのだが、とりあえず今回はなんともなかったので、ただの五月祭いい話だと思ってもらってかまわない。


自分がずっと13号館にいたのはかまわないんだけれど、そうしなきゃいけないような状況を作り出したのはマネジメントの失敗だった。そう考えると自分が13号館でアレコレ仕事しているのは、自分の前日までの失敗の罰を受けているのだ、という考えに至ってしまって、いやな気がしてきたのだった。実験要員としての仕事はいやじゃなかったけど、マネジメントの仕事や自分がいやになった。

いろんな人に「がんばってるね、大変だね」と言われてバツの悪い気持ちになった。特に、事前に割り当てられた以上の作業をさせた人から(皮肉としてではなく)「大変ですねぇ」とねぎらわれるのには違和感が大きかった。マネジメントの失敗があって、その被害者にねぎらわれていたのだから。

昨年の反省点も消しきれなかった。さらに今年の反省点がドカっと追加されたのを箇条書きで足した。あとは引き継ぎ資料にまとめるだけ。こういう一人で反省する作業は癒しでもある。説明文に起こすのは「いずれ誰かの役に立つ」という幻想をもたらしてくれる。反省を書き起こすのは「それを経験した人にしかできない」仕事である。それはやりがいの理由になる。もしかしたら、そのやりがいを独占したくて、反省の材料を見逃したくなくて、ずっと仕事をしていたのかもしれない。


1階の受付・ホールの装置・2Fの解説担当の間を行き来していると、なんだかこの建物の中にいる人々が臓器で、自分が神経になったような気がした。むかし読んだ本で糸井重里が株式会社ほぼ日を臓器に喩えていたのを思い出した。


昨年は空き時間にお店に行っていろいろ食べてたわりには、今年は終わってみるとなんだか「割高なチュロスに金出してられるか!」という気分になってしまった。心が狭くなった。大学を出たときは「1500円の刺身定食でも行ったらぁ!」という気持ちだったのが、徐々に「いや巣鴨で600円のケーキ買えばいいか…」となり、巣鴨についたら「ケーキは贅沢すぎるな…変わったお菓子でいいや」と、みるみるうちに欲望がスケールダウンしていった。最終的に無印のブールドネージュ(250円)を食べた。粉砂糖の舌触りがお菓子だなあ…という気分にさせる(?)。